13回想 Archive
13回想 Archive
最近のクイズ番組(高学歴の芸能人から連想すること)
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不況のあおりでテレビ番組も制作費の安いクイズ番組が増えたようで、週に何回も似たような番組があるのですが、どれをみても東大卒だとか、有名大学出身を売りにして紹介されています。
学歴が低いのでよくわからないのですが、きっと能力と努力があるからこその経歴なんだろうなと思います。
5年前に企画部門の総括をしていたときのことですが、東大出身の若手職員が部下になりました。彼は私の席の隣でいろいろと親身に対応してつもりなのですが、部長を含めた各部署の企画責任者の打合せで彼は突然私の部署での席替えを要求しました。
総括主査(8人のグループリーダー)だった私よりも東大卒の自分のほうが能力が高いので席次も当然の順番に処遇されてしかるべきだというものでした。
上司は常日頃から東大出身ということに敬意を表していたし、東大出身は全職場でも数十人程度しかおらず将来の幹部候補であることは間違いないし、普通より15~20歳は若くして課長級になるようです。
その頃は成果主義も流行り出したり、上司に対応をそれとなく打診してみても知らんぷりされたので、時間をかけずに席を渡しました。
東大出身の彼はますます仕事に自分の考えを入れて頑張るようになり楽しく過ごせたようなのでよかったと思います。
ごく親しい方からこっそりとですが、東大出身なのにこの職場にいること自体学生時代の成績が上がらないなど問題があったと思うといっていました。そういえば資格も何もないしなぁと思いました。
当時は長い間い休日や夜間の大きな説明会が連続して入り、平日は幹部と調整するという繰り返しでしたが、東大出身の彼はずっと通常の勤務時間以外は断っていました。
彼には内縁の妻が妊娠していて間もなく生まれるため、家族のための時間を大切にしたいということだそうです。学生の頃から同棲しているとかなんとか。さすが仕事もプライペートも充実しているなと思いました。
この年になっていまさらですが、もっとちゃんと勉強しておけばよかったなと思います。
eラーニングで勉強できるようだけどどんなものなのかな。福祉系の大学で勉強したいと思うのですが、いまは職場復帰が目標で2つも考えてはだめですね。
退職後に始めるといっても自分の場合退職するまで生きているかどうかわからないし、仮に生きていたとしてもそういう年齢でまだ気力があるかどうか自信がないし・・・。
というわけで最近のクイズ番組でいろいろと連想してしまうので他の番組をみたいのですが、どのチャンネルでも日替わりで放送されているのでどうにもならないですね。
どうせなら高学歴の芸能人を集めるのではなく、左官、大工、板前などの経験を持つ職人気質の芸能人を集めて身近な問題をテーマにしてもらえるとうれしいなと思います。変かな・・・。
ひどいコンプレックスの記事になってしまいました。素性を明かさない連続批判コメントが長期にわたり届いており不安です。よほど嫌われているのだろうなと思いながら、どうして嫌いなのに何度もわざわざひどいことをするのかなと不思議なところもあります。
さてと、愚痴はこれで。来週はリハビリ出勤前最後の1週間。1年3カ月ぶりの出勤初日から週5日8時間のフルタイムですがやっていけるかどうか自信がありません。
あっ。また愚痴が。自信がないといっていては復職審査会でまた復職不可になってしまいます。復職手続きに診断書3通11,550円がかかるということもありそろそろいい加減なんとかしないと。お金の問題じゃないか(苦笑)。
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人生の転機と残された人生
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職場のストレスで3ヶ月にわたり憔悴しきってしまい、直前の2週間はとても生きているとはいえない生活となり、モンから「仕事をやめてもいいからその前に病院へ行こう。」といわれました。
2004(平成16)年7月2日。初めて精神科を受診しました。
この日を境に人生の軌道がが大きく変わることになりました。
仕事中毒から本格的な療養生活の始まりです。
躁うつ病で自宅療養と職場復帰を4回繰り返し、狭心症等で4回入院しました。
2009(平成21)年7月6日。リハビリ出勤が始まります。
これまでの職場復帰はただ流されていたように感じます。
今回はここから残された人生の始まりと思うようになりました。
昇進できないことを気にしたり、主治医に依存しすぎた生活は卒業したいです。
残された人生は、仕事や療養生活中心ではなく、家族や趣味を大切に楽しく過ごしていければいいなと思います。
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病気のことをなかったことにできれば
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昨夜テレビをみていたのですが22時頃に途中で寝てしまいました。
今朝になって朝食と昼食で起こされましたが午前中も午後もずっと寝ていました。
ずいぶんと寝ていたのですがいろいろな夢をみていたような・・・。
病気になったのは2006(平成16)年です。4月に入り新しい体制で苦しみながらも頑張らなければならないと仕事を続けていましたが6月下旬についに仕事にいけなくなりました。
1週間ほど自分としては最悪のうつを経験して7月初めに初めて精神科を受診しました。
病気にならなければ今頃どうしていただろう。
人一倍努力をして花形部署で成果を出して人より早く昇格して・・・。
それがいいことかどうかよくわからないけどきっとそうしていたと思います。
今はそうしようと思ってもさせてもらえないしできないだろうし。
かなり後ろ向きになっています。
最初の診断のうつ病のままであれば治療も一定期間で終えて病気も過去のことにできたように思います。
私の場合、職場の上司の異常なパワーハラスメントでした。
うつ病といわれて仕事を休んでいても家に何度も電話をしてきました。
ようやく復帰しても毎日個室へ呼び出されてよけいなお世話の説教ばかりでした。
それで再び病気休暇を取ってしまって・・・。
パワハラに負けて精神科を受診した時点ですべて終わってしまったような気がします。
精神科医には助けてもらったわけですがその後の人生がなくなってしまいました。
病気にならなかったことにできないできないかと考えてしまいます。
いまさらなのですが本当に病気なのかとも思います。
リーマスやデパケンRを飲んでいますが飲まなかったらどうなるか試してみたいです。
本当に病気なら自分でも納得できると思うので。
不謹慎な考えです。
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回想(備忘録)
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初めて精神科を受診するまでの経過や休職と復職を繰り返している様子をまとめてみました。
備忘録のような形になりましたが、少しずつ書き足していければと思います。
1 人事異動
2 主査へ昇任
3 入院
4 部下が休職
5 東大卒の部下
6 体の震え
7 精神科受診
8 1回目の休職
9 2回目の休職
10 本社へ転勤
11 3回目の休職
12 復職
13 4回目の休職
14 復職不可
1 人事異動
26歳当時(平成2年4~5月頃)<軽うつ状態>、2度目の人事異動後の4月下旬に結婚。初めて社内全体を集約する仕事に就いた不安や仕事の進め方等のトラブルで軽うつ状態を1~2ヶ月間経験。これを契機として躁うつ状態を交互に繰り返すことになりました。
32歳当時(平成8年4~5月)<うつ状態>、初めての社内外局異動で左遷と思い込み仕事上の不安と不満で退職したい気持ちが頭をよぎるほどのうつ状態を1~2ヶ月経験。妻の両親も心配して駆けつけたが治療は行わず自然に治癒しました。
36~38歳当時(平成12年4月から2年間)≪軽躁状態≫、平日深夜まで、休日もほとんど出勤する仕事中毒(ワーカホリック)化が顕著になりました。
そして38歳(平成14年)。16年間勤務した本社を離れて、県内K支社への転勤が決まりました。今振り返ると気分の波がありながらも、夢中で仕事をしていた時期でした。
2 主査へ昇任
K支社で初めての企画部門に就き滞りなく仕事をしていた2年目の40歳(平成15年)。主任から主査へ昇格しました。私はいきなり7人の部下(常勤4人、非常勤3人)を持つことになりました。そのうち4人(常勤3人、非常勤1人)が転入者又は新人で何をするにも一つ一つ手取り足取り。
それでも週に一度のミーティングを行いながら、何とか乗り切ってきました。日々忙しく過ごしている平成15年10月中旬。髭剃りをしていると右のまゆげが下がっているのに気がつきました。変だなと思いながらも仕事に出かけて毎晩遅くまで仕事をしました。数日後の朝、シャワーを浴びて髭剃りのために鏡をのぞくと明らかに右顔と左顔がずれていました。妻にみてもらうと右側が下がっているといわれました。
3 入院
その日もとりあえず出勤しなくてはと出かけたものの、顔がゆがんで明らかに眉毛が片方下がっているので病院へ行くことにしました。上司にちょっと診てもらってきますと言い残し、病院へ。受付近くで案内役をしていた看護師さんへ何科を受診すればいいか訪ねると麻酔科へ行きなさいとのこと。予想外でしたが、麻酔科の外来はそれほど多くなく、あまり待ち時間なしで診察室へ通されました。
診察室に入ると男性医師が、いつからこういう症状が出たか、寒い風に当たらなかったかと尋ねてきました。そしていきなりすぐ入院してくださいといわれました。えっ。と思ったのですが、間髪入れずに男性医師は、これは顔面神経麻痺です。ベル麻痺といもいいます。原因はウイルスで誰でも持っているウイルスです。疲れがたまっているときなどに発症します。それでは、脊髄に管を通しますから、職場や自宅など連絡するところがあれば今電話してきてください。いわれるまま連絡してそのまま2週間の入院。
退院するまで毎日点滴。濃度をだんだん薄くするために2週間の期間が必要ということらしい。動かない右顔をマッサージするよういわれる。ピキッと顔面に電気が走ったような感じがした。その後から少しずつ動くようになった。退院する日が決まった翌日早朝上司に電話をした。そして職場に顔を出しました。
上司は間髪要れずに個室に案内しました。まるで職場に出ると困るような感じでした。個室で退院後の様子を形式的に尋ねられました。そしてこういわれました。しばらく自宅で療養していてくれないか。君の後任として隣の課から配置換えをして、君の席で仕事をしてもらっているんだ。1ヶ月は仕事をしてもらうつもりなんだ。そのくらいしないと成果が出ないだろう。
上司は私が長期で不在になると勘違いしていたらしい。それで人事という特権を行使して職場で権威を見せつけていたようなのです。そんなところに私が思いがけず退院してきたものだから、あわてて個室に呼び込み自宅療養を命じたわけです。それも2週間。横暴なことだと思いつつも逆らえずに了承しました。入院から1ヶ月。ようやく職場に復帰して忙しい日々を送りました。
39~40歳当時(平成15年4月から1年間)≪躁状態≫当時は、朝6時半頃から職場で仕事を始め、休日も出勤してその後家に仕事を持ち帰るなど、仕事が手放せない躁状態を経験。本人や周囲に病識はなく、精神科は受診していません。
4 部下が休職
新しい年度になり、私の部下7人のうち5人(常勤4人、非常勤1人)が転入者又は新人でした。私は自分自身の業務が忙しく、4月早々の一番不安な時期に転入者の面倒を見てあげることができませんでした。まず一人休み始めました。そして二人目が休み始めました。私はその分の仕事をカバーしながら、部下に不安が蔓延しないよう鼓舞しました。
原因は私一人のせいではないようでした。あの上司が若手職員を鍛えようと机の前に立たせて説教したり、仕事ができないとなじって同僚職員になじるよう強要したり。あるときは飲み会を設定して若手職員におごらせたり、自宅へ車で送迎するよう命じたりしているようでした。
私の部下は最長1週間以内で職場復帰しましたが、隣の係では精神科を受診して3ヶ月にもわたり休職している人が二人もいました。
5 東大卒の部下
5人の転入者又は新人のうち、一人東京大学卒業のキャリアがいました。入社4年目で本社から転勤してきた彼は社内で幹部候補生として大切に育てられている人材でした。確かに経験が多くない割りに仕事は効率的にこなすし、法律的な解釈も秀でていました。
そんなある日、本社の部長がK支社の企画担当者と懇談するということになり、その準備をしていました。私は彼にその担当を頼み滞りなく済ませるつもりでした。ところが彼は裏方という意識はなく、次々と日ごろの不満を話していったのです。極めつけは事務室内での席割りです。私は係長ということで配置されていましたが、彼にはそれが不満だったようです。本社の部長に役職にかかわりなく能力に応じて座席をかえてほしいと提案しました。本社の部長はそれでいいのじゃないかと答えました。
懇談を終えて上司は早速座席をかえました。東大卒の彼が私の席へ座り、私は末席に追いやられました。屈辱的な思いがあります。彼はヒヒヒと笑い満足しているようでした。彼は支社長とも意思疎通を始めました。支社長も東大なので目にかけているようです。私は前任の支社長と一緒に土日も仕事をして努力してきました。新任の支社長はやることなすこと前任の支社長のやり方に文句をいいました。まるで私がやると自分の意に沿わないというようです。
6 体の震え
平成16年6月下旬。仕事にいくのが辛くなってきました。手がざわざわしたり、体が震えたり。支社長のところにいくとおどおどしてしまいます。だましだまし仕事を続けていましたが、もう限界でした。
平成16年6月末に数日有給休暇を取りました。どうしても職場へ行けなかったのです。夜も眠れない状態。朝になるとガクガク震えてどうしても動けない。どうしようどうしよう。このとき妻に私は死にたいといったらしいです。自分ではよく覚えていません。仕事をやめたらどうなるかということを回らない頭で考えていた記憶があります。私には両親とも亡くなっているので、当面、妻の実家に身を寄せようか。許してくれるだろうか。
7 精神科受診
妻は、突然、病院へ行こうといいました。えっ。思いもよらなかった言葉でした。診てもらってからでもいいじゃない。仕事をやめるのは。仕事をやめったっていいよ。それよりいまは大変な状態なのだから、先生に診てもらおうよ。妻はそういいました。
病院の窓口付近で案内している看護師さんに症状を伝えたところ、精神科へいってくださいとのことでした。やはり精神科なんだ。自分は精神科のお世話になるまで落ちぶれたのだと思いました。
精神科は2階の一角になり、6つの診療科の奥のほうにありました。でも耳鼻科と向き合っているので、待合室では精神科の人も一般診療科の人も一緒にいなければなりません。精神科の窓口へいくと新患は時間がかかるので、午後でもいいかしらと優しい口調の看護師さんはいいました。はいと答えたと思います。午後2時頃という約束をして家に戻りました。
家に戻り時間がたつのを待っていると電話が鳴りました。妻が電話を取りました。さきほどの看護師さんでした。午前中の外来が多くて約束の時間を少し遅くして欲しいとのこと。午後3時に待ち合わせして病院へ向かいました。
診察室に入ると男性医師はどうしました。精神科へはどのようにして受診しようとしましたか。なかなか精神科を受診しようとはしないのですよね。でも安心してください。といいました。1時間ほど家族関係や生育歴、発症経過などの話を尋ねられました。
男性医師は、うつ病であること、車に例えるとガス欠の状態であること、ガソリンが満タンになるには休養と薬が必要であること、そして必ず治ることと力強く話しました。仕事を休むように私に同意を求めました。とまどう私に休むことが一番。薬が聞き始めるには2週間くらいかかるといいました。診断書を書き始めてとりあえず1ヶ月の自宅療養にするといいました。様子をみてもう少し伸ばすこともあると。
そして病名はどうしましょうといい、自律神経失調症と神経衰弱状態あたりかなと。なんとなく神経衰弱状態と書いてもらいました。後で知ったことですが、本当の病名は中等症うつ病であること、神経衰弱状態は統合失調症のカモフラージュで使用することが多いこと。いずれにしてもその日から休職することになりました。
8 1回目の休職
病院で処方された薬は抗不安薬と抗うつ薬でした。抗不安薬は2週間で中止となり、あとは抗うつ薬だけでした。主治医と話したことと、職場を離れることができることでとても楽になり、薬の効果だけではない安心感を得ることが出来ました。その日から睡眠もいくぶんできるようになり、なにしろ朝方のふるえもなくなりました。
休職となり、落ち着いてきたもののテレビはみない、新聞もみない、グタッと横になっている状態でした。平成16年7月下旬の診察日、主治医と休職のことで相談しました。今の診断書ではもう出勤しなけばならないけれど、無理だと思うので、8月中旬、お盆明けから出勤できるようにしたいと伝えました。主治医はそのとおり診断書をつくってくれました。最初の診断書と同様今回も職場へ妻に届けてもらいました。
この休職中に度々上司から家に電話がありました。内容は、趣味をもて、旅行にでもいけ、だらしないからこんな病気にかかるんだ、しっかりしろ・・・。うんざりでした。
職場復帰した後も上司は毎日個室に呼び出し説教でした。内容は、趣味をもて、旅行にでもいけ、だらしないからこんな病気にかかるんだ、しっかりしろ・・・。休職中と全く同じでした。
そして、職場で自分のする仕事はありませんでした。毎日職場へ行くものの夕方まで黙って席に座っているだけ。そして上司に個室に呼ばれ・・・。地獄のような日々でした。
9 2回目の休職
平成16年10月上旬また上司に個室に呼ばれました。ついに私は上司に反論してしまいました。今思えば躁転したのかもしれません。休職中から毎日毎日説教されてもううんざりです。こんなやり方はやめてください。以前、部下が次々と休暇をとったのは上司のせいですよ。わかりますか。上司らしく我々のみこしに乗って担がれていればいいのではないですか。
上司は私に精神病だから仕方ない。我慢してやるといいました。唖然。私は今日通院日なのですが、体調がよくないので、少し休ませてもらうことになるかもしれませんと伝えました。
その日は休暇を取り、病院へ行きました。主治医に報告したところ、躁転については疑わず、私の要請どおり6週間自宅療養を要するという診断書をつくってくれました。また、妻に届けてもらいました。
この休職中はとにかく喪失感がひどくて、もう何もかもいやになったという感じでした。妻と一緒に買い物にいったり、図書館にいったり、できるだけ歩くように心がけていました。
あの上司からの電話はなくなり、ナンバー2が電話をしてきました。普段話をすることもない人だったので、電話でも会話は成り立たなかったのですが、上司から命じられていたのでしょう週に1回くらいは電話をしてきました。
そしていよいよ復職。ついに回覧物も全く回ってきませんでした。完全に蚊帳の外。何やら職場で口裏をあわせているようでした。
平成17年3月中旬。人事異動内示前後の約1ヶ月間に気持ちが落ち着かず携帯電話で掲示板サイトに深夜まで頻繁に書き込んだり、人事異動の内示当日に温泉旅行へ一泊二日で出かけるなど、行動の異変が見られるようになりました。その他に名称公募サイトに30点以上応募したり、プロジェクトを提案してプレゼンテーションで熱弁を振るったり、普段では考えられない行動が目立つようになりました。
10 本社へ転勤
平成17年3月下旬。早々に引越しをすませ本社への転勤準備を始めました。ところが、新しい職場で早々に漠然とした不安に襲われてうつ病の治療を継続するとともに休職してしまいました。
新聞やテレビへの興味や関心がなくなりましたが、突然、車の買い替えを思い立ち、2日間でディーラー3社と交渉して購入するなど、奇異な行動が続きました。その後、通院中に多弁となり主治医から躁転を指摘されて双極性障害の治療を開始しました。
11 3回目の休職
平成17年4月、本社に転勤してわずか10日で休職となりました。うつ病ということでの休職でした。その後多弁となり双極性障害(躁うつ病)の治療を開始しました。うつ病のときとは全くちがうショックを受けました。自分は精神病なんだ。もう復職することなどできないかもしれない。
休職当初は睡眠もとれず、薬の副作用でふらふらして歩くと転ぶし、とにかくおしゃべりがとまらない。話しているので、ご飯も食べれない。当時の主治医から奥様が一番被害者なのだからといわれた。たしかにそうかもしれないと思いました。
妻の実家にもこういう病気で休職していると妻を通じて伝えました。数日後、実家からご両親が尋ねてきました。でも責められることもなく本当に感謝しています。
12 復職
平成17年8月中旬。4ヶ月の休職を終えて職場復帰しました。復職前に職場の人事当局と精神科医の先生方を相手に私と妻そして新しい職場の上司が交代で面接を受けました。その結果、午前中の半日勤務を1ヶ月続け、平成17年9月中旬からフルタイムで勤務することになりました。でも残業と出張は禁止でした。
一週間を通して勤務するのが辛くて休みをはさみながら出勤を続けました。平成17年12月に入り体調が安定したこと、職場からのプレッシャーなどで少し早いと思いましたが、平常勤務可能の診断書を提出しました。しかし、診断書を主治医が書かずに受付の女性が作成するなど、これまでの診療所への不満が募り、転院を決意し、平成17年12月中旬から新しいクリニックに通院することにしました。
顔面神経麻痺で入院後、精神疾患で3度の休職、復職を繰り返してきましたが、日々の勤務を積み重ねて2年半が経とうとしています。
13 4回目の休職
平成20年4月、本社内で人事異動となり着任しましたが、初日に勤務しただけで漠然とした不安に襲われて4回目の休職を取ってしまいました。
最初はうつの症状でしたが、4月下旬ころからだんだんと躁状態になり、職場の呼び出しや急な主治医との三者面談の要求などでこれまでに経験したことのないほど大きな躁状態に向かい、匿名の投書で職場を糾弾するなど取り返しのつかない大変なことをしてしまいました。
平成20年8月に糖尿病、平成20年11月から12月に狭心症、平成21年3月にクッシング症候群の疑いで自宅療養中に3回の入院を経験しましたが、平成21年1月以降は精神症状も落ち着いてきており、安定した生活を送れるようになりました。
しかし、職場復帰については、早く復帰したほうがいいと思いながらも自分自身で決めかねているような状況でした。
14 復職不可
平成21年3月で休職期間が満了することから平成21年9月まで休職期間を延長するよう手続きを行いましたが、職場の上司から復職できるのではないかとか、嘱託精神科医から長く休むのが一番困るなどといわれたことから、平成21年4月からの復職願を提出しました。
平成21年3月中旬、職場の人事担当、上司、精神科医などで構成する復職審査会へ出席したところ、4月は人の入れ替えがあり復職のタイミングが悪いとか、復職を焦っておりもう少し療養したほうがいいという意見があり、復職不可となりました。
あらためて平成21年9月まで休職期間を延長するよう手続きを行い、休職を続けることになりました。
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いまだに病気を受け入れられずに
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治療を始めて4年経ちますが、いまだに病気を受け入れられずにいます。
躁のときはどうして周りは頑張らないのと思ったり
うつのときはどうして自分だけつらいのと思ったり
上がったり下がったりした気分に乗った目線で周りをみるので
自分自身はいつでも正しい高さで周りをみている気持ちになってしまう。
本当に自分が上がったり下がったりしているの?
周りが上がったり下がったりしているんじゃないの?
病気のことを日記につけるのはいいことなのかな。
病気のことにとらわれすぎるんじゃないのかな。
こういうことを書くと上がっているといわれるだけだけど。
上がっている様子なのに自分はうつだといっていたり
病気と闘うんだと意気込んでいたり
少なくともそういうふうにはならないようにと。
でもどちらが正しいかよくわからないですが。
うつ病といわれていた頃と躁うつ病といわれた後の環境の変化が重かったり
障がいのある方の苦労も知らずに精神病と違い周りからは受け入れられると嫉妬したり
わけのわからないことばかり考えてしまいます。
もう一度よく考えながら過ごしていきたいと思います。
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やはり見放されているようです。
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> こんにちは。
> 長い間仕事を休んでおりましたが、4月から復職することとなりました。
> 突然でご迷惑かと思いましたがご連絡をさせていただきました。
高校の先輩なのですが仕事でも一度同じ職場になった方がいます。私には他に友人もおらず唯一親しくしてくれたので頼りにしていました。
昨年入院したときにお見舞いにくるとメールがあったのですが実際はいらっしゃることはなくそれっきり連絡が途絶えていました。その後躁状態で職場へ迷惑をかけていたこともあり、二度と連絡を取り合うことはないだろうと思っていました。
昨日、4月から復職する手続きを進めたことからためらいましたが妻と相談した結果一応連絡だけはしておこうとできるだけ簡潔にメールをしました。まぁ連絡が入るわけもなくやはり見放されているようです。
先輩には重ねて迷惑をかけてしまいメールをしなければよかったと後悔しています。これからは一人で頑張っていかなければならないと考えると気分は重いですが結局は自業自得なので・・・。
(追記)
さきほど先輩からメールが届きました。
たくさん話したいことがあります。近々お会いしませんか?連絡ください。とのこと。
どのような話になるかわかりませんが少しほっとしました。
(追記2)
あっ。でも昨年お見舞いにきてくださるといってくださってもそれっきりになったんだっけな。
ということは今回もそうなるのかも。
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クラッシャー(破壊者)
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クラッシャー(破壊者)とは、職場の中でうつで倒れる職員を次々と引き起こす上司のことをいうそうです。私の職場にもこうした上司がいました。私にも部下が7人いて最初のターゲットにされました。一生懸命かばっていましたが、そのうち私がターゲットにされて職場へ行けなくなりました。私が精神科へ行ったときにはすでに4人が休んでいました。
あるとき人事部門からメールが届きました。あちこちの職員からこの上司の態度や行動の話が人事部門に届いており、本当はどうなのかというものでした。私は「上司は一生懸命やっていると思いますが、うまく伝わっていないところがあるのかもしれません。」と上司をかばう返事をしました。今思えばおかしな話だと思います。
その上司は、現在、出向していますが、地方ではとんでもないエリート(旧帝大出身)なので、来年4月に戻ってきて部長になるということもあり得ます。まだ50代前半と若いのでまだまだお会いする可能性があります。そう考えると気が重くなります。
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1日4回31錠から1日4回24錠へ
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現在の処方は精神科以外も含めて、朝食前、毎食後の1日4回、24錠です。処方は病相により違うと思うのですが、先生の治療方針も関係しているようなので、これだけ変わるのだと驚いています。
転院前は、毎食後、就寝前の1日4回、31錠でしたからこれでも少なくなったほうだと思います。精神科の先生に薬を整理していただいたおかげなので、感謝しています。
飲む量が多いのは少しいやだなと思いますが、服薬はしっかり守っています。自分としては、これまで長期間服用してきた薬で、躁転しやすいという三環系抗うつ薬、長期服用で依存性があるという抗不安薬、太りやすいというドグマチールを中止していただいたのがよかったなと思います。
(現在の処方)1日4回、24錠
1 精神科
リーマス錠200mg×4T(朝夕食後)
デパケンR錠200mg×6T(朝夕食後)
2 精神科以外
テノーミン錠50mg×1T(朝食後)
ベザトールSR錠200mg×2T(朝夕食後)
ミカルディス錠40mg×2T(朝食後)
レニベーゼ錠5mg×1T(朝食後)
メデット錠200mg×3T(毎食後)
アマリール1mg×1T(朝食前)
ネドリール錠125mg×1T(朝食後)
メチコバール錠500μg×3T(毎食後)
(転院前の処方:2008.7.27まで)1日4回、31錠
1 精神科
リーマス錠200mg×3T(毎食後)
トリプタノール錠25mg×6T(毎食後)
ワイパックス錠0.5mg×3T(毎食後)
ドグマチール錠50mg×5T(毎食後、就寝前)
ダルメートカプセル15×2C(就寝前)
ハルシオン0.25mg錠×2T(就寝前)
2 精神科以外
テノーミン錠25mg×2T(朝夕食後)
ユペラニコチネート100mg×2C(朝夕食後)
ベザトールSR錠200mg×2T(朝夕食後)
ディオバン錠40mg×2T(朝夕食後)
コニール錠2mg×2T(朝夕食後)
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初めて躁うつ病といわれたとき
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平成16年7月2日に精神科初診後、うつ病の治療を開始しました。平成17年4月1日付けで転勤となり、転院しました。精神科初診後、約10ヶ月後くらいの平成17年4月25日で躁うつ病と診断を受けました。
その日の診察で「急に多弁となりました。これはうつ病ではないですね。躁うつ病ですね。躁うつ病として治療を開始します。薬を変更します。3日後に受診してください。」といわれました。
3日後の平成17年4月28日に受診したときに「間違いなく躁うつ病の躁状態です。薬による変動ではありません。かなり多弁となっています。薬を一部追加変更します。」といわれました。
このときに主治医から本人と妻にそれぞれ躁うつ病について詳しい説明がありました。このときの記録を振り返ると、ていねいに説明をしてくださったのだなと思います。まずは妻を気遣ったこと、お酒と車はだめ、今後のうつ転の心配、そして妻へ伝えた〜急激な状態変化は大変であり、この辺は「神のみぞ知る」〜という言葉も印象的でした。
1 病状の判断
間違いなく躁うつ病の躁状態です。薬による変動ではありません。かなり多弁となっており、一番迷惑を被っているのは奥さまです。躁状態のときは、奥さまは酔っ払いと接するような気持ちになってもらえればよいです。診察に支障がないように、診察室では話をしないで大人しくしていてください。通院医療費公費負担制度(現在は障害者自立支援医療)の活用は申請主義です。療養期間延長の診断書は後日用意する予定です。
2 処方の変更
お薬を次のとおり変更します。
17.4.25 ⇒ 17.4.28
バレリン 600mg/日 ⇒ 1,200mg/日
リリーゼン 6mg/日 ⇒ 12mg/日
ユーロジン 4mg/日 ⇒ 2mg/日
ハルシオン 0.25mg/日 ⇒ 変更なし
ベゲタミンB なし ⇒ 1T/日
スルピリド錠アメル 150mg/日 ⇒ 中止
3 車の運転の自粛
眠気やめまい等で集中力や判断力が鈍っており、車の運転は控えるようにしてください。日中実際に寝ているわけではなく、夜間の転倒も高齢者の筋肉の衰えと同じようなものです。寝つきもよいようですし、早朝覚醒や深夜まで起きていることも躁状態の特徴です。
4 今後の治療の見通し
躁うつ病や統合失調症の場合、完治と言わず、寛解と言います。この寛解は、完全に治ることなく症状が落ち着いた状態を指します。従って、いつ頃になるかわかりませんが、もしも寛解したならば、通院や服薬を終えることはあります。しかし、再度、症状が現れると再度通院や服薬が必要になりますので、生涯治療が続くこともありますし、一時的に寛解して治療を中断することがあるかもしれません。
5 その他疾病の状態
躁うつ病以外は話す必要はありません。他の病院で治療している腎血管性高血圧症の検査結果や処方薬等の報告は全く不要です。
1 躁状態とうつ状態の違い
躁状態は、とても気分がよい状態で「自分は世界一幸せ」と思います。人によっては、攻撃的になったり、買い物をしまくったり、借金をして事業を起こす人もいます。うつ状態は、「自分は世界一の不幸」と思います。
2 躁状態のときの接し方
躁状態で人に迷惑をかけないように気をつけており、一番迷惑しているのは実は近くにいる奥さまです。患者は普通と思っていても、酔っているのと同じ状態である。酔っ払いを相手にしているのと同様に接してください。
3 引越し以前の病状
先日、躁うつ病と告知したところであり、奥さま自身も関係する本などで随分と勉強なされたようですね。今思えば、以前にも躁状態があったかもしれないと思えるということであり、引越し、転勤の前にも、今回のような躁状態が出現していたかもしれません。奥さまの感覚では、うつ病になる前に躁状態になったようなことはないと感じておられるようですね。
4 禁酒の必要性
酒は厳禁です。もっと気分がよくなり、攻撃的になります。人によっては、裁判沙汰になることもあります。奥さまに本人は、飲酒を控えようとして、飲酒するとしてもビールを一杯程度に抑えて、飲酒後、時間をおいて薬を飲むように心がけると相談しているようですが、アルコールを飲むと止まらなくなります。当面は、禁酒して飲酒は控えてください。
5 服薬効果の出現時期
昨日27日あたりに、ほんの一瞬だけ本人の多弁が少しだけ収まり、会話に間が空く時間帯があったようですが、うつ状態を改善する薬を服用後、そんなに早く効果が出るのは、ちょっと変だと思います。
6 暴力行為の有無
患者から暴力を受けるようなことはないということですね。
7 うつ状態に変化したときの対応
奥さまは昨年以来、うつ状態の患者の様子をみており、今後、躁状態から一変して、気分が落ち込み、うつ状態に変化したと感じたら、通院日でなくても来院してください。
8 躁うつ病の治療
うさぎがぴょんぴょん跳ねる様子から躁うつの状態変化をラピット状態と言います(本当はうさぎの跳ねる様子ではなく躁うつが交互に入れ替わる状態が年4回以上あるときでラピッドサイクリングというらしい)。状態変化に応じた薬の見極めは大変難しいものです。緩やかな変化ならまだよいのですが、急激な状態変化は大変であり、この辺は「神のみぞ知る」というものです。急な状態変化に気づいたら、すぐに通院して本人を連れてきてください。例えば、躁状態でふしだらになる女性もいます。
9 躁うつ病と趣味
ご夫妻共通の趣味を持つことにして、散歩時に出会うかわいい動物や、今が見ごろの桜をデジカメ写真に納めようと約束しているようですが、そのような楽しい趣味を持つことは大変よいことです。
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躁うつと友人
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躁うつが影響して新しい環境に弱く、自分から話しかけるようなこともできずにいます。友人と呼んでもいいのか迷いましたが、親しくしていたのはこれまでに2人いました。その2人とも今は連絡を取り合うこともありません。友人がいないと相談する相手もおらずさみしい生活です。
親しくしていた友人の一人は、小学校高学年から高校卒業までいつも一緒にいた友人です。小学校のときに席が近くなってから知り合い、まんがを書いて遊んでいました。中学校と高校では、同じ吹奏楽部に入っていました。
高校の合格発表のときは、友人の家で待機してラジオの合格発表を一緒に聞いてから高校の玄関前にに張り出された発表を見に行きました。今考えると、どちらかが不合格だったらどうしていたのだろうとぞっとします。
友人は徒歩で通学していましたが、とてもかっこいいスポーツタイプの自転車を持っていました。私は自転車通学していたのですが、新しい自転車を買えるような状況ではなかったので、1週間ほど借りて乗っていたこともあります。とてもうれしかったです。
もう一人は、高校の先輩(といっても3歳上なので私が入学したときには既に卒業していました)で職場の同僚でもあります。実際に同じ仕事をしていたのは1年だけなのですが、1週間ごとに出張に出かけることが多く、一緒にお酒を飲んだり、仕事で競ったりと楽しかったです。先輩は私の仕事ぶりをとても気に入ってほめてくれたのもよい関係が続いた一因だったかもしれません。
先輩は同じ職場の同僚と結婚したので、夫婦同士でお酒を飲みに行くなどお付き合いしていました。私がうつ病となり病気休暇から復帰した4年前に、今度は先輩がうつ状態で仕事が休みがちになっているという話を聞きました。奥さんに聞いてみると、毎朝仕事に行くのがとてもつらそうとのことでした。
自分の経験から一度ゆっくり休んだほうがいいと話してみたら、先輩も休むことになりましたが、職場側から配置替えの配慮を受けて復帰しました。しばらく病院へ通っていましたが、頓服だけで済んでいたので、薬がなくなったらもらいに行く程度だったようです。その後通院しなくてもすむようになったそうです。
この4月に私は4回目の病気休暇をとりましたが、一度ご夫妻に誘われて食事に行ったことがあります。お会いしたのはそれが最後です。8月に糖尿病で入院したときに先輩からお見舞いに来るとメールがありましたが、実際は来ることはありませんでした。連絡を取り合ったのもそれが最後です。
先月、躁状態のときに職場へ迷惑をかけてしまったので、とても先輩へ連絡をとるようなことはできそうにありません。来年4月にはたぶん先輩も転勤となり、これからお会いすることもなくなると思います。
躁うつを持っていると、明るく振る舞い友人は多くなるのかもしれませんが、私の場合は上手に人と付き合うことができず友人がいません。大きな躁で迷惑をかけた後は大きなうつで外出もできない状況なので、とてもこれから友人ができるとは思えません。
今月で45歳になりますが、この年になるまでに親しくしたのがたった2人だけで今は友人がいないというのは情けない限りです。私の場合に限っては、躁うつを抱えた人付き合いが友人を持つことができなかった原因だったのではないかなと思います。躁うつにもよさがあるかもしれませんが、躁うつを受け入れるにはまだまだ時間がかかりそうです。
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